世界レヴェルへの道

「油断」「甘え」「弱さ」からの乖離(かいり)・・・弟子に於ける精神修養の神聖性 <2>

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生井利幸の弟子たちは、それぞれが、それぞれの「心のステージ」なりに、身を挺して絶対的本質・真理探究の道を歩んでいます。

当・英会話道場イングリッシュヒルズでは、受講生としての学習は、初期の段階で、'"to upgrade yourself" is different from "to be elevated."'という捉え方を学びます。この時点で、既に、他の教育機関では学べない崇高な学習であると明言できます。

後に、学習が、「講師が導く、”標準的指導ライン”通り」に進むことができた受講生は、(1)"to upgrade"と捉えていた自分の学習について、実は、(2)"to be upgraded by the instructor, Toshiyuki Namai"であるということに気づきます。以下、前述の2つについて、日本語で説明します。

(1)"to upgrade"
自分の力で、自分自身を高める

(2)"to be upgraded by the instructor, Toshiyuki Namai"
生井利幸の指導の下、生井利幸に導かれることによって、自分自身が生井利幸によって高められている(引き上げられている)

当教室では、受講生・弟子にかかわらず、すべての学習者が、正真正銘の”現実”(reality)として、生井利幸が賦与する、世界で唯一無二の教授メカニズムによって引き上げられています。

この「引き上げる」(生井利幸が学習者を引き上げる)という教授方法は、国内外の他の教育者に於いても簡単にできることなのでしょうか。この問題について、弟子たちに問いかける必要性は皆無でしょう。言うまでもなく、「引き上げる」という教授理念・メカニズムを現実のものとするには、教授者自身、命をはるだけでなく、実際に「自己の命の『長さ』を削る」必要があります。

「自己の命の『長さ』を削る」、・・・生井利幸は、この教授方法を一体誰の幸福・利益のために行っているのでしょうか。弟子自身、このことについて「自分の命」(自分の個の中心核)で「確かな実感」(正真正銘の真実)として捉えられたとき、生井利幸の本物の弟子として、「自分自身の行動」を通して自ら証明することができるでしょう。

生井利幸の正真正銘の弟子として、「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を現実のものとしたいならば、弟子自身、自己の個の中に、自ら積極的に「地域的要素」を入れないように最善の努力を続けていってください。地域的要素は、自己の個を堕落させ、毒し、害します。

現在、第7等級弟子が第6等級弟子を目指すとき、地域的要素によって自分を堕落させ、毒し、害し続けると、その道に於いて、それ自体が道を塞(ふさ)ぎます(邪魔をします)。

受講生も弟子も、一事が万事に於いて、一対一の完全個人指導であるからこそ、これだけの優れた学習成果の実現に到達しています。学習者は、それぞれが完全に独立して、講師の生井利幸からの直接指導を受け続けるからこそ、他の教育機関では不可能な「優れた学習の成果」を実現できています。

生井利幸が賦与する重要根幹教材「レッスン日記」の学習の重要性は、以下の「”前”・導入としての英知到達メカニズムの基礎」を把握・認識すると、より明確に理解することができます。

◆”前”・導入としての英知到達メカニズムの基礎
<1>
受講生・弟子共に、すべての学習者が、完全に独立して、講師の直接指導を受けている。

<2>
学習者は、<1>の基礎条件を完全に維持しながら、「レッスン日記」を通して、他の学習者の勉強方法を知り、それを参考にし、より良い学習方法(姿勢)を構築していくことができる。(他の教育機関では、完全個人指導の場合、他の学習者の学習の様子・状況を知れる機会は皆無である。)

前述の学習環境・条件は、「世界中の教育機関の実際」を知り尽くしている生井利幸が捉える「世界最高峰の学習環境・条件」である。

<3>
英語道弟子課程の定員は、設立前から、その定員は決まっていた。これを言い換えると、「超越的(超自然的)存在者・生井利幸が、弟子として迎えるその人数は、最初から決まっていた」。

<4>
地域的要素が多い弟子ほど、生井利幸が当該弟子を引き上げるとき、その”重量”が重く、”超自然的に”引き上げるのが困難である。

地域的要素が多い弟子ほど、「自分自身が地域的要素によって堕落し、毒され、害されている」という『自分自身の真実』に気づかない。

<5>
地域的要素が少ない弟子ほど、生井利幸が当該弟子を引き上げるとき、その”重量”が軽く、”超自然的に”引き上げるのがスムーズである。

<6>
生井利幸が賦与する正式神聖指導の範疇・枠組みで弟子が経験する精神修養は、そのすべてが、「美しく、且つ、神聖なる経験」である。精神修養は大変である・困難であると捉える弟子がいた場合、その心模様自体が、本人の「心のステージの『低さ』」を露見するものである。

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