前掲のメッセージカードは、弟子選考試験・受験準備学習者・S.M.さんからいただいたものです(先週に「レッスン日記」で紹介済み)。S.M.さんは、2019年2月末、即ち、来月末に、弟子選考試験を受験することが決定しており、現在、そのための準備学習に取り組んでいます。
前掲のメッセージカードの真ん中に、「先生は、競争だとおっしゃってくれました」と書かれてあります。この競争とは、わたくし生井利幸自身がS.M.さんに述べた言葉です。それは、次のような趣旨の言葉です。
◆言葉の趣旨
「わたくし生井利幸が人間としての身体を使う期間を終了するのと、S.M.さんが世界的教養人になるのと、どちらが早いか、競争しましょう。」
この言葉は、まだ、弟子たちには明瞭には述べていない言葉です。世界的教養人とは、言うまでもなく、「第1等級の弟子、即ち、disciple elevated(最高峰(世界レヴェル))の弟子」になることを意味します。
「第1等級の弟子になる」ということは、弟子たちが想像する以上に、「相当難しい道のり」を歩むことになります。
しかし、本稿では、わたくしの下で学ぶすべての学習者に向けて、一つ、助言を賦与します。第1等級の弟子になるということは、弟子たちが想像する以上に「相当難しい道のり」を歩むことになりますが、真実を述べるならば、このことは、「(1)『通常の学習方法の枠組み』、そして、(2)『固定観念、及び、地域的人間としての自己中心的なエゴで構築された地域的枠組み』から出ることのできない(離れることができない)学習者の場合」に於いて該当することです。
わたくしの下で、わたくしが賦与するすべての正式神聖指導にしたがい、そっくりそのまま”体験具現”していくならば、賦与された膨大なる学習内容は、すべて「弟子自身の自分の血・肉・骨」となります。師は、そのために、「自己の命の長さ」を削り続けています。
わたくしの教授方法は、「自分の血・肉・骨を、弟子たちに分け与える」という教え方・導き方を実行しているものです(言葉だけでなく、「実際の自己の命」を使って賦与する"transubstantiation"の実行)。言うまでもありませんが、国内外、どこを探しても、同じように教える教授者は存在しません。わたくしが、S.M.さんに前掲の言葉を述べた理由は、「S.M.さんは、この真実について、しっかりと認識・理解できる学習経験、社会的経験、及び、人生経験を備えている」と捉えた所以(ゆえん)です。
わたくしは、来月の末に、S.M.さんが弟子選考試験に合格することを、「自己の中心核」から切望しています。