形而上学

銀座書斎で学ぶ、生井利幸の形而上学

1)「精神性」(spirituality) ⇒ 2)「理性性」(rationality) ⇒ 3)「神聖性」(holiness)

生井利幸の弟子は、師が賦与する学問・文化・芸術に内在する本質を探究する道を歩む上に於いて、弟子として、相当年数をかけて、1)「精神性」(spirituality) ⇒ 2)「理性性」(rationality) ⇒ 3)「神聖性」(holiness)という如き、生井利幸の形而上学(metaphysics)に内在する普遍的構造を認識・理解・吸収することが必要不可欠です。

生井利幸独自の学問体系は、幼少期から、ドイツ観念論哲学の創始者、イマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の影響を受けています。イマニュエル・カントは、人類史に於いて、実に、最高峰の理性性に到達、且つ、体系的にその理論を樹立した人物です。基本的に、「生井利幸に於ける理性性の体系」は、イマニュエル・カントの哲学理論の一部に大きな影響を受けて、構築・展開されています。

わたくしは、通常コースの受講生に対して、「まずは豊かな心を持つことが大切です。豊かな心・清らかな心が、自分の人生を豊かにします」というラインの教授を行います。受講生に対するこのラインの教授は、率直に述べるならば、前述の3段階構造で組織される生井利幸の形而上学に入る前の<前・基礎的問題>としての役割を演じています。

「生井利幸が備える3段階構造の形而上学」を認識・理解する上で弟子に必要不可欠な学習経験は、一事が万事に於いて、生井利幸からの直接の「耳学問」が重要な意味・役割を持ちます。

弟子が、生井利幸から耳学問を賦与されている神聖なる時間的空間に於いて、「講義内容について、弟子がノートにメモを取る」という行為は、弟子として最低限必要な学習の姿勢です。「世界最高峰の英知について、1対1で学ぶ機会を賦与されている」という学習環境があるにもかかわらず、弟子自身の無教養・無見識から、そのような恵まれた勉強の機会の価値を理解することができず、耳学問中にメモすら取らない弟子に対しては、その場で、耳学問を賦与することを中断します。

言うまでもありませんが、メモを取らないで講義(耳学問)の聞き流しをすると、後に、講義内容のすべてを忘れます。お客様気分で講師の講義を受講すると、せっかくの講義も、すべて無意味となります。実際、弟子も受講生も、生井利幸の指導の下で学ぶ学習者であり、<お客様>ではありません。

本稿に於いて真実のみを述べますが、お客様気分で何をどのように学んでも、英語を習得することなど、”お話にならないほど”不可能であり、また、真の教養・品格を身に着けることもできません。生井利幸は、命をはって、英語で「世界レヴェルの英知・美意識」を教授し続けています。このミッションの実現のために、自分自身のプライベートも犠牲にしています。

最後に、学問に於ける「真理」(truth)を述べます。ローカルな知識欲から、単に、自分の知識の量を増やすための「手続き」として勉強している弟子は、遅かれ早かれ、やがて、勉強に行き詰まり、失敗します。

では、勉強に失敗しないためにはどうしたらよいのでしょうか。このことは、本・英語道弟子課程・弟子専用ウェブサイト内に掲載した数え切れないほどの無数の教材に、そのすべてが講じられています。弟子は、師の指導・助言通りに、勉強をやってやってやり抜くのみです。外の世界を見ても、何もありません。

銀座書斎は、「これまで、自分なりに外の世界を見てきた大人の紳士・淑女」の集まりです。本物を目指すなら、今現在、生井利幸から賦与されている学習内容・方向性に集中して猛勉強を続けることです。

自分が決めたことに的を絞り、よそ見をすることなく、やってやってやり抜いた人だけが、正真正銘の本物になります。人生経験のある人、外の世俗社会を知っている人は、「よそ見をすると、結局は、時間の無駄になる」という見方・捉え方がわかる人です。

銀座書斎で教授される「生井利幸の形而上学」

生井利幸事務所・銀座書斎において、わたくし生井利幸は、古代ギリシアの哲学者、プラトン(427-347B.C.)がアテネ市北西郊外に創設したアカデメイア学園の「学問の精神」を基盤とし、普遍的立ち位置から学問・文化・芸術の研究・教授活動を行っています。

生井利幸事務所・社会貢献事業、教養講座「哲学」(総論・各論)で学んだ受講生の皆さんと開催した食事会の様子(食事会が終了後に撮影)。

銀座書斎(Ginza Sanctuary)は、前述のプラトンの学問の精神・理念を基盤として、「生井利幸の形而上学」を目に見える形として創造した「学問の聖域」です。銀座書斎の成り立ちの詳細は、生井利幸事務所の本サイト、「生井利幸公式サイト」に詳しく述べられています。

The Ginza sanctuary is such embodiment of Toshiyuki Namai's metaphysics people in general can see by their eyes as a matter of reality.

Toshiyuki Namai risks his honor, dignity and life for the sake of the instruction of the essence and the absolute truth scientifically.

All disciples of mine are ardently studying various matters as their interdisciplinary study based upon three domains, sciences, cultures and arts in accordance with his rational instruction given in the Ginza sanctuary.

Lesson extraordinary修了生・Y.B.さんが『生井利幸著「人生に哲学をひとつまみ」ノート』を作成・提出した際に、作成ノートに添付されていた品格・品位が漂う謝辞。Y.B.さんは、2018年10月現在、国際教養塾・本科、「神学概論」にて精力的に勉強しています。

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