世界レヴェルへの道

生井利幸”直系”の弟子として、神から賦与された「生」を全うする

更新日:

生井利幸”直系”の弟子たちは、今再び、以下について深い思索を試みてください。

 1 「命をはる」という意味について
 2 「『命をはる』という言葉に酔う」ということ
 3 「生井利幸”直系”の弟子として実際に命をはる」とは、一体如何なる行為・様相を指すのか

わたくし生井利幸が弟子に賦与する教授内容は、(1)「”他人事”(自分の実生活には直接関係のない事)として、”机上の理論”としてそれを学ぶ」のではなく、(2)「師から学んだ教授内容について、”自分の事”として、弟子自身が実際に行う」という経験を積み重ねるところに、「弟子の『生』」に於いて、『生井利幸”直系”の弟子』としての意味を成します。

(1)「学んだことについて陶酔する」とは、(2)「学んだことを実際に行う」という様相・有様とは根本的に違います。弟子は、毎日の一秒一秒に於いて、生井利幸から学んだことを実際に行うことにより、『正真正銘の本物』になるための道を歩むことができます。

『正真正銘の本物』になるには、生井利幸から賦与された正式神聖指導のすべてを、”そっくりそのままの形”で経験実現することが必要です。”そっくりそのままの形”で経験実現することを、"transubstantiation"(全質変化)と呼びます。

重要補足:
弟子が、師からの教授内容について、偏狭なローカル目線で「自分の都合の良いように”着色”する学び方」では、transubstantiationどころか、真の教養すら身に付くことはありません。

-世界レヴェルへの道

Copyright© 弟子専用ウェブサイト , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.