世界レヴェルへの道

清掃活動、及び、学習活動中に於ける「神聖なる休憩」 [第二部]

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The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple

以下の3つの英語音声講義について自分の「血」(blood)、「骨」(bones)、「肉」(flesh)に入れると、生井利幸の正真正銘の弟子として、本物のための本物の道を歩むための「光」(light)を見ることができます。

学習方法は、言うまでもなく、1つの英語音声講義につき「最低100回以上」、3つの英語音声講義で「計300回以上」聴き込むことが最低限必要です(ディクテーション、及び、ノート作りのプロセスにおいては、「前述した300回」を含めない)。

⇒ The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅰ(英語音声講義)
⇒ The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅱ(英語音声講義)
⇒ The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅲ(英語音声講義)

人間は、自分自身が「必要な困難な道」を通った後に、他の人々を教え導くことができるようになる

人類史を振り返ると、次のことが明確にわかります。

「世の中を導き、指導する立場に立った人は皆、指導する立場に立つようになる前に、ある種の困難を経験し、その困難を通った後に、人々を導き、指導している。」

上記のことは、人類史に於いてだけでなく、聖書の教えでもあります。

「アブラハム、モーゼ等の指導者は皆、導くべき人々の前に立つ前に、自分自身が困難を経験している。そればかりではなく、『神の子であるイエス・キリスト様』でさえ、この地球上で、人々を導き、指導する前に、荒野(荒れ野)で自分一人になり、40日間の精神修養・断食を行い、その精神修養・断食を経験した後に、人々を導き、指導している。」

平凡人である弟子たちは、今、再び、目を覚ましなさい。目を覚まして、「生井利幸が賦与する正式神聖指導は、どこを根源としているか」という根本問題について、今再び、思い出しなさい(このことは、既に、何度も何度も教授しています)。

「神聖なる休憩」の意味

生井利幸が、銀座書斎に滞在中、時折、清掃活動・学習活動を行っている弟子に、「中央スペースでコーヒーでもいかがですか」と、声をかけることがあります。この行為と、生井利幸が銀座書斎を不在にしているときの「弟子に対して想定している『神聖なる休憩』」の意味合いには、それぞれ異なる意味合いがあります。

上記2つの意味合いの相違については、本稿に於いて、説明する必要はないでしょう。しかし、この両者の意味合いの相違についてどうしてもわからない・見当がつかないという弟子は、このことについて師に相談し、師から指導を受けてください。

上記2つの意味合いの相違について考えるとき、二つの類型に分けて考えると、この問題に内在する本質が見えてきます。

◆休憩についての「2つの類型」
類型1: 師が銀座書斎に滞在しているときに取る休憩
類型2: 師が銀座書斎を不在にしているときに取る休憩

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