transubstantiationは、弟子が、「師の精神性」の中に完全に自分の身を置き、そこで毎日学習を積み重ねていくことで、少しずつ体験具現していくことができます。
弟子は、時として、心の中に何らかのモヤモヤがあるでしょう。師と弟子の間には、本来、何らの障害物もないはずですので、弟子自身、心の中に何らかのモヤモヤ感があるときには、(不必要な)躊躇をすることなく、そのモヤモヤ感を師に打ち明けるのが「本来の弟子のあるべき姿」です。
その反面、もし、弟子が、自分の心の中に何らかのモヤモヤ感があるとき、「すぐに、師にそれを打ち明けようとする『素直さ』」がなかった場合、この様相は、その弟子が持つ真実は、「実際には、その弟子自身、『師の精神性』の中に自分の身を置き、そこに住んではいない」という証となります。
本日の朝、弟子・S.M.さんは、あることで、心の中にモヤモヤ感が生じました。このような状況の下、S.M.さんは、そのモヤモヤ感が生じた直後、直ちに、素直な心で、師に対してそのモヤモヤ感について打ち明けました。
このことは、まさに、S.M.さんは、「毎日の24時間に於いて、しっかりと『師の精神性』の中に自分の身を置き、そこに住んでいる」という証となるものです。