『狭き門』(the narrow gate) 第一部
"Humility is only one remove from haughtiness."(謙虚と傲慢は紙一重。)
Those who seriously study under the aegis of Toshiyuki Namai is required to reasonably comprehend one of the fundamental ideas in science. There is no concrete possibility for those who don't comprehend the matter described hereinafter.
It is said, "Humility is only one remove from haughtiness." in the civilized world here on this planet. In other words, "The line between humility and haughtiness is thin as a knife's edge."
I'm teaching this scientifically crucial matter at all times to those who seriously wish to build authentic culture at the Ginza Sanctuary, Tokyo, Japan.
It goes without saying that everything regarding the quality of learning hinges upon you. Whether you are intellectually sensitive or not regarding the considerable difference between the two, "humility" and "haughtiness" decisively destines the quality and direction of your learning more than you ignorantly imagine.
I deeply hope that you are not told, "Ignorance is bliss." as an irony which you don't understand.
学問として、本質、及び、絶対的真理の探究を目指す弟子は、「狭き門」(the narrow gate)から入る。
◆英語音声講義
⇒ A genuine disciple goes in through the narrow gate.(英語音声講義)
「狭き門」から入る、世界最高峰の学びの聖域
英語道弟子課程で学ぶ弟子たちは、第一稽古場(銀座書斎・「奥の聖域」)、そして、第二稽古場(森のギャラリー)に於いて、英米、または、海外のトップレヴェルの大学・大学院の研究室で与えられる学術的指導と同等、あるいは、それ以上の学術的指導を受けることができます。弟子たちには、平日・週末を問わず、毎日の24時間において、世俗的欲・エゴ・固定観念・邪念を一掃することに努め、「世界最高峰レヴェルの英知・美意識」構築具現の道を歩む「特権」(privilege)が賦与されています。
すべての弟子は、師である生井利幸の正式神聖指導の下、「人類」(humankind)という立ち位置から、総合的に学問・文化・芸術を捉え、「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を目指して、毎日、勉強に勉強を重ねています。わたくし生井利幸にとっての「弟子の理想像」(an ideal disciple)は、「弟子たちが、生井利幸の"spirituality"(精神性)の中で生きる」ということです。弟子に於いては、平日・週末に関係なく、毎日、迎える一秒一秒に於いて、「transubstantiation具現」を念頭において勉強に勉強を重ねていくことが極めて重要です。電話での相談は、平日・週末に関係なく、いつでも可能です。相談は、「相談したいその日のうち」に相談することが最善の方法です。具体的に相談したいことがあるのに、翌日、あるいは、数日後に相談しようとすると、「『相談したい具体的内容』に対して情熱を失ってしまう」ことは通常人における常です。
「弟子たちよ、たった一度しかないこの人生に於いて、『限界の限界』まで勉強に燃えなさい」、・・・勉強に燃え続けると、師である生井利幸の精神性の中で、"culmination"が生じます。生井利幸の精神性の中で"culmination"の経験を続ける毎日を送っていくと、生井利幸からのtransubstantiationの体験具現、そして、経験実現へと進化していきます。必要な道は、師がすべて賦与します。弟子は、「師から賦与された道」を進むのみです。エゴ・迷い・曇りは、すべて「負の要因」を生みます。弟子は、師から賦与された道を進むことに尽きます。それ以外はありません。
弟子たちの「心と精神の置き場所」
写真・左は、英語道弟子課程・第一稽古場(銀座書斎、「奥の聖域」)。
第一稽古場に於いて、生井利幸の弟子たちは、正式神聖指導の下、「世界最高峰の英知・美意識」を体験具現する日々を過ごし、心と精神に於いて「最高の歓喜」「至上の喜び」を経験する人生を歩むことができます。
第一稽古場は、弟子たちが神聖なる空気感の下で、世界最高の英知・美意識を吸収し、自分たちの血(blood)・骨(flesh)・肉(bones)とする最も重要な学びの聖域です。
師である生井利幸は、第一稽古場を清らかな学びの聖域として維持していくために、毎日、相当なる時間を捻出し、稽古場の浄化を図っています。
受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」
◆英語音声講義
⇒ Who decides the quality of lesson?(英語音声講義)
英語道弟子課程は、「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を目指す、世界最高峰の学びの聖域です。生井利幸の弟子を目指す受講生は、まずはじめに、生井利幸の英知の入口、即ち、英知に入るための「狭き門」(the narrow gate)から中に入ることが必要です。「弟子になる」ということは、「狭き門から入る」ということです。
弟子になるための「狭き門」は、生井利幸の宇宙規模の英知の内側から見ると、実は、かなり「広い門」(the wide gate)です。その理由は、生井利幸の英知の中に入ると、前に進むにしたがって、その通り道は、次第に狭くなるからです。
第二の狭き門、第三の狭き門、第四の狭き門という如く、「”超越的”学問としての生井利幸の正式神聖指導の範疇・枠組み」の中でより崇高なるステージに進んでいくには、目の前に見える「より狭い門」を通ることになります。「勉強が先に進むと、先にある門は、より狭くなる」、・・・「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を目指す弟子にとっては、必要不可欠な認識事項です。
本質論を述べると、「勉強すればするほどに師が遠くなる」という経験こそが、「絶対的真理、及び、本質に到達したい」と希求する弟子にとっては、基本となる経験です。勉強すればするほどに師が遠くなる、・・・正真正銘の本物の弟子は、この経験を介して、「英知の美しさ」を実感するようになります。
◆人間が経験する「2つの美」
1 上辺だけ、即ち、実体的本質が不存在で形をつくっている「美」
(虚像社会で平凡人が見る「美」)
2 真理・本質から構成される「美」
(虚像社会の上にあるガラスの天井を突き破れた人が見る「美」)
補足:
「学問の深遠さ」「真実の英知」「真実の学びの様相」を知らない人には、何年たっても、生井利幸が目の前の存在者との相互コミュニケーションのためにローカライズしているその地域的様相・姿しか見ることができません。つまり、「学問の深遠さ」を知らない人ほど、生井利幸が近く感じます。
『狭き門』(the narrow gate) 第二部
受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」・・・弟子・H.K.さんに於ける体験具現 <1>
2019年6月15日(土)に於ける英語稽古にて、弟子・H.K.さんから、「世界レヴェルへの道」に掲載済みの教材、『受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」』についての学習成果を受け取りました。H.K.さんは、同日の早朝6:00からの銀座書斎入居ビルの清掃活動に加え、8:05からの英語稽古の後、銀座書斎・中央スペース、及び、キッチンスペースの清掃活動を行いました。その際、同日に於いて、英語道弟子課程設立以来初めて、弟子に対して、「奥の聖域」の清掃を許可しました。その後(同日の午後)、H.K.さんから、前掲教材の学習成果のPDFを受信した際に、本日の活動について述べた添付書類が添付されていましたので、本稿にてご紹介します。
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ご都合の良い時にご確認いただけますよう、よろしくお願いいたします。ここから先に、本日の経験について書かせていただきます。
先ほど、銀座書斎で経験させていただいたことは、非常に深くて大きな経験でした。経験と先生とのやり取りを振り返りながらの帰り道で、私は大きな失敗をしてしまった、と思いながら帰ってきました。先生から、「奥の聖域を清掃してどのようなことを感じたか」と質問いただき、清掃中に感じていた言葉にならないことを、言葉に直して、先生に伝えたつもりでしたが、その伝えた時の状況を振り返ると、「私はとんでもなく大不正解の回答をしていた」ということと、先生が出してくださっている「大不正解のサイン」に気付きました。サインは11年も掛けてやっと気がつきました。大きな失敗ですが大きな発見でした。
それから、このPDFをお送りするまでの数時間の間、「今日どうして『奥の聖域』に掃除で入室させていただけたのか」について、考えていました。これまで、「清掃をしていなかった時期」→「弟子の清掃活動(第一はなぶさビルの共用階段の清掃)の機会の賦与」→「銀座書斎の中の床、および、キッチンスペースの清掃の機会の賦与」というように、徐々に銀座書斎の中に(清掃で)入れていただきました。そして、今日から、さらに奥に進ませていただきました。
どうしてこのように徐々に奥へ進ませてくださったのだろう。どうして清掃の機会を広げてくださったのだろう。それは生井利幸先生の英知と美意識の中に直接入るためです。先生は少しずつ扉を開けてくださり、弟子が先生の形而上学の中に入れるように扉の入り口を作ってくださっていたのだと思いました。今まで、「ミリ単位で全てが構成され、ミリ単位でデコレーションがなされている」ことを聞き、遠目から見て、覗き、窺っていました。絵画の並べ方を客観的に見て、これは崩したら大変なことになりそうだ、とか、勉強に直結しないところで色々なことが想像されました。その「ミリ単位」に、今日は実際に本当に、触らせていただくチャンスをいただきました。客観的に見ていたところから、実際に触るところまで来たのです。「ミリ単位」のデコレーションに対して、私も「ミリ単位」で近寄って行きました。私の「ミリ単位」はまだまだ大きかったです。実際は「ミリ以下」で全てが構成されているということには、清掃しなければ分からなかったです。
どう考えても、物に当たる確率が100%あります。お尻や腕や目の届かない体の一部が絶対に何かに当たってしまいそうです。特に私は、”そそっかしい”と周囲の人々から云十年言われ続けるくらいの危なっかしい人です。その私に、清掃を賦与してくださった先生のことを考えると、、、。先生も、いざという時のことを覚悟で機会を賦与してくださったのだな、と思いました。それは清掃中には気づけなかったですが、「どうして先生は機会を賦与されたのか」を考えるほどに色々なことに気づかされました。
清掃中に、言葉にはならないことで、心の奥の奥の奥の方でじわっと感じていたことが今はっきりと蘇ってきたのですが、生井利幸先生が物凄く物凄く遠いところにいらっしゃり、どうやっても到達できないところにいる、ということです。ものすごく遠くて、なぜか、涙が出てきます。
以上、忘れないうちにお伝えさせていただきたく、こちらに書かせていただきました。今日は本当にありがとうございました。
英語道弟子課程
弟子・H.K.
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受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」・・・弟子・H.K.さんに於ける体験具現 <2>
本稿では、弟子・H.K.さんに於ける「世界レヴェルへの道」掲載教材、『受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」』の学習成果をご紹介します。
◆学習成果
⇒ 弟子・H.K.さん作成、『受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」』ノート1
(PDF、計6ページ)
⇒ 弟子・H.K.さん作成、『受講生にとっての「狭き門」、弟子にとっての「狭き門」』ノート2
(PDF、計4ページ)
同学習ノートは、絵を描きながら、H.K.さん本人にとっても、また、他の弟子たちにとってもわかりやすく表現されています。
H.K.さんは、師から賦与された相当時間の耳学問を介して、しっかりと「正式神聖指導の範疇・枠組みに於ける『狭き門』」についての”認識”・”理解”・”吸収”・”実行”を実現(体験具現)しています。
銀座書斎内部の清掃の意味・・・先に進めば進むほど『より狭い門』が存在する
◆銀座書斎内部の清掃活動について
英語道弟子課程では、すべての弟子たちが、神聖なる学問所である「銀座書斎」が入居する銀座書斎入居ビル、及び、銀座書斎内部の清掃活動を行っています。清掃活動は、事前に日時を決定し、毎日、いずれかの弟子が行っています。生井利幸が賦与する正式神聖指導の範疇・枠組みの下、「世界レヴェルの英知・美意識」構築具現を目指す弟子たちにとって、銀座書斎入居ビル、及び、銀座書斎内部を清掃する機会が賦与されていることは、(1)「神からの祝福」であり、同時に、(2)「弟子にとっての人生最大の喜び」でもあります。
◆銀座書斎内部・清掃活動の時間枠と範囲
清掃時間として、「30分」、「45分」、「60分」を賦与します。清掃の場所は、以下の如きです。賦与した清掃時間よりも長い清掃時間が必要な場合は、事前に師に相談してください。
1 銀座書斎・「奥の聖域」
2 銀座書斎・中央スペース
3 銀座書斎・キッチンスペース
◆銀座書斎内部の清掃活動に於ける留意事項
1 「奥の聖域」に設置してある生井利幸の机の上は、清掃不要である
「奥の聖域」の清掃のとき、「奥の聖域」と中央スペースの仕切りとなっている大型の本棚に向けて設置してある「生井利幸の机」は、現在、「生井利幸の仕事のステーション」としての役割を果たしています。この机の上は、如何なる場合に於いても、清掃する必要はありません。通常は、パソコン等、仕事の道具が置いてありますが、机の上にあるものは、触れることなく、そっくりそのままにしておいてください。通常、机の上は、「生井利幸の『仕事の神聖性』」を意味する白いクロスで覆っています。机の下は、「床の一部」ですので、他の場所と同じようにしっかりと拭いてください。
2 「奥の聖域」にある引き出しの中は、例外なく、すべて清掃不要である
「奥の聖域」のテレビ台の引き出し、その他、すべての引き出しは、清掃不要です。<普通の大人が持つ社会常識>として考えるとわかることですが、引き出しの中には、重要書類もあります。清掃活動のとき、引き出しを開けて、その中を触る必要はありません。
◆銀座書斎内部・清掃活動の申し込み方法
電話、または、銀座書斎入居ビル滞在中、いずれも可能。電話するための適切な時間帯の調整が難しい弟子の場合、英語稽古時や銀座書斎入居ビル滞在中でも申し込み可能。英語稽古時の場合は、”必ず”、「稽古のスタート時」に、自分からその旨を伝えてください。