耳学問の重要性

導入:耳学問の重要性 (受講生・弟子への指導・助言)

一秒たりとも無駄な時間を過ごしたくない生井利幸の弟子が、「迎える一秒一秒」を無駄にしない唯一の秘訣は、師の生井利幸と時間を共にするとき、常にノートを持参し、生井利幸が言葉を発するとき、「自分のためだけに賦与されている耳学問」としてノートにメモを取ることです。このことは、第一稽古場、第二稽古場だけでなく、外のレストラン等で生井利幸と共に時間を過ごすときも該当する「極めて重要な学習の姿勢」です。弟子たちは、「師からどのような重要な話を聴いても、その場でメモを取らない限り、すぐに忘れる」という真実を、自らの経験で学び取っています。

生井利幸の弟子になることを目指す受講生において、「『耳学問の重要性』をしっかりと認識・理解することは、何よりも重要な問題である」と、ここで”断言”します。以下において、「耳学問の重要性」について、誰にでもわかるように、やさしい言葉・論理で整理しました。弟子志望の受講生は、以下の<1><2><3>について、たっぷりと時間をかけて勉強することにより、「自分自身が受けた典型的教育」とは異なる観点から、「より深遠なる学びの道」について認識・理解することができます。

◆基礎的重要ポイント
人生は、「『一秒』(one second)の積み重ね・連続的経験」によって構成されています。弟子が「一秒」を無駄にしない秘訣は、師の生井利幸と時間を共にするとき、常にノートを持参し、生井利幸が言葉を発するとき、「自分のためだけに賦与されている耳学問」としてノートにメモを取ることです。

耳学問の重要性 <1>

学問を学ぶとき、通常の場合は、大学等で講義を受講します。しかし、大教室で講義を受講すると、教授者が学生の面前で講義しているその内容は、所謂、「教科書通りの内容」となります。

「耳学問」とは、大教室でテキスト通りの方法で学ぶ方法ではなく、学習者が直接、教授者から、「難しい学問について、学習者にとって最も妥当な方法で学ぶ方法」を指します。

耳学問について、これを教授者側から述べるならば、教授者は、学習者の能力・見識・立ち位置等を鑑み、「学習者にとっても最もわかりやすい方法で、一つひとつの理論・考え方について教えていく」という教授法であるといえます。耳学問とは、言葉を換えれば、「理性を介して行う『茶話』」であると捉えることができます。

生井利幸の弟子たちは、生井利幸から賦与される耳学問を介して、実に、様々な英知を学んでいます。弟子たちは、常に、例外なく、わたくしが耳学問として与える様々な事柄について繊細・詳細にノートに記録しています。

耳学問を与えられるとき、その内容について繊細・詳細に記録し、後に、たっぷりと時間をかけてノートに整理すると、耳学問で学んだ一つひとつが、しっかりと学習者の体の中に入っていきます。

逆に、講師が何度重要な学習ポイントを講じても、単に聞き流しをするだけでノートにメモを取らない学習者は、講師が長い期間にわたって何度も何度も重要ポイントを講じても、永遠と、何の進歩も得ることができず、毎回、「無駄な時間の使い方」を繰り返すだけとなります。

レッスンでも、レッスン以外の時間でも、講師が学習者に対して講じる内容は、「すべて重要な内容」です。講師が、重要でないことを講じることはありません。

講師は、ほんの一秒でさえ時間を無駄にすることなく、毎日の一秒一秒を刻み続けています。「講師が与える耳学問の聞き流し」は、学習者にとっては、マイナス要因以外の何物でもありません。

The interpretation of mine in science shall be reasonable enough for your intellectual sake all the time.

耳学問の重要性 <2>

当・英会話道場イングリッシュヒルズにおけるこの数年を振り返ってみると、年々、受講生が「耳学問の重要性」についてしっかりと認識・理解し、講師が講じる講義内容について、しっかりとノートにメモを取る受講生の割合が増えています。以下、再度、「耳学問の重要性」について述べます。

通常の場合、人が学問を学ぶとき、「大学で講義を受講する」という行為を意味するでしょう。しかし、大学の大教室で講義を受講すると、教授者が学生の面前で講義しているその内容は、いわゆる「教科書通りの内容」です。「耳学問」とは、大教室でテキスト通りの方法で学ぶ方法ではなく、学習者が直接、教授者から、「難しい学問について、学習者にとって最も妥当な方法で学ぶ方法」を指します。

耳学問について、これを教授者側から述べるならば、教授者は、学習者の能力・見識・立ち位置等を鑑み、「学習者にとっても最もわかりやすい方法で、一つひとつの理論・考え方について教えていく」という教授法であるといえます。耳学問とは、異なる表現を用いるならば、「個人に対して提供する『唯一無二の学習の機会』」であると解することができるでしょう。

例えば、受講生が、教室のレッスンにおいて耳学問を与えられるとき、その内容について繊細・詳細に記録し、後に、たっぷりと時間をかけてノートに整理すると、耳学問で学んだ一つひとつが、しっかりと学習者の体の中に入っていきます。逆に、講師が何度重要な学習ポイントを講じても、単に聞き流しをするだけでノートにメモを取らない学習者は、講師が長い期間にわたって何度も何度も重要ポイントを講じても、永遠と、何の進歩も得ることができず、毎回、「無駄な時間の使い方」を繰り返すだけとなります。

言うまでもありませんが、レッスンでも、レッスン以外の時間でも、講師が学習者に対して講じる内容は「すべて重要な学習内容」です。講師が、重要でないことを講じることはありません。わたくし自身、教授者として「真実」を述べますが、「講師が与える耳学問の聞き流し」は、学習者にとっては、マイナス要因以外の何物でもありません。

生井利幸が受講生に与える耳学問は、100パーセント、「わたくしの目の前に座っている受講生の教養を高めるため」に与えている学習の機会です。レッスンは完全個人指導です。わたくしが与える耳学問は、レッスンにおいて、「わたくしの目の前に座っている受講生」にとって最もわかりやすい方法で教授・案内している教授内容です。

英語稽古に加え、それ以外の時間・機会に於いても師の面前で熱心にメモを取る弟子・M.U.さん。師が賦与する耳学問は、ノートに整理しない限り、後に、そのほとんどすべてを忘れてしまいます。

耳学問の重要性 <3>

「耳学問の重要性 <3>」としての本稿においても、「より質の高い学習」を実現させる目的で、わたくし生井利幸からの助言を続けていきます。

わたくしは、長年にわたって、英会話道場イングリッシュヒルズ・ウェブサイト内掲載の「レッスン日記」において、「耳学問の重要性」、即ち、「レッスン中にメモを取る重要性」について述べてきました。本稿において再度述べますが、銀座書斎のレッスンにおける近年を振り返ってみると、年々、「講師が講じる講義内容について、しっかりとノートにメモを取る受講生の割合」が増えています。

海外でも日本でも、人が何らかの学問を学ぶとき、まず最初に、「大学キャンパスの大きな教室で、大勢の学生と一緒に講義を受講する」という様相・有様を想像するでしょう。通常の場合、大学キャンパスの大教室で講義を受講すると、言うまでもなく、教授者が学生の面前で講義しているその内容は「教科書通りの内容」となります。

一方、わたくしが述べる「耳学問」とは、大教室でテキスト通りの方法で学ぶ方法ではなく、学習者が直接、教授者から、「難しい学問について、学習者にとって最も妥当な方法で学ぶ学習法」を意味するものです。海外でも日本でも、概して、耳学問を与える教授者は、自分の目の前に存在する学習者の基礎学力・教養・見識・立ち位置等について理性的に鑑み、「学習者にとっても最もわかりやすい方法で、一つひとつの理論・事例・考え方・捉え方について教えていく」という教育方法を採ります。

さらに述べるならば、耳学問を通して学問を学ぶ機会は、「一個人に対して提供する『唯一無二の学習の機会』」であると明言できるでしょう。

英会話道場イングリッシュヒルズのレッスンで言えば、受講生が、教室のレッスンにおいて耳学問を与えられるとき、「その内容について繊細・詳細に記録し、後に、たっぷりと時間をかけてノートに整理する」という復習方法を実行すると、やがて、耳学問で学んだ一つひとつについて、受講生自身、それらについてしっかりと「自分の個の中」に入れていくことができます。

その反面、わたくしが、相当期間にわたって、何度も何度も同じ重要ポイントを講じても、単に「聞き流し」をするだけで、ノートにメモすら取らない状態が続いてしまうと、受講生自身、自分の能力(基礎学力・見識・英語力等)において、何ら、劇的な変化・改善を見ることはありません。聞き流しを続け、メモを取らない悪い習慣を放置しておくと、何年レッスンを受講しても、"wisdom"(英知・知恵・学識)という側面において何の進歩も得ることができず、毎回、「無駄な時間の使い方」を繰り返すという”ネガティブな結果”を招きます。

本稿において、わたくしは、明確に断言します。レッスンでも、レッスン以外の時間でも、わたくし生井利幸が受講生に対して講じる内容は、「すべて重要な学習内容」です。わたくしが、レッスンにおいて、受講生に対して、「重要でないこと」「不必要なこと」を講じることはありません。

わたくし自身、教授者として「真実」を述べますが、「講師が与える耳学問の聞き流し」は、受講生にとっては、「マイナス要因」以外の何物でもありません。わたくしが受講生に与える耳学問は、「わたくしの目の前に座っている受講生の教養を高めるため」に与えている特別の学習の機会です。

レッスンはすべて、完全個人指導です。わたくしが与える耳学問は、レッスンにおいて、「わたくしの目の前に座っている受講生」にとって最もわかりやすい方法で教授しています。多数の受講生が学ぶクラス・レッスンにおいては、何をどのように教えようとも、「完全個人指導で経験できる醍醐味」と同じ醍醐味を経験することはできません。

受講生の皆さん、レッスンに慣れることは良いことですが、是非、今一度、「自分における、学習者としての学習の姿勢」を洗い直し、「完全個人指導の醍醐味」について考えてみてください。

日本ではもちろんのこと、海外でも、「すべての講義(レッスン)において、受講するたびに『そのすべて』を録音できる」という学校はありません。実際、教授者側の本音を述べると、毎日、教授者自身、受講生(学生)によって、講義するそのすべてを録音されたら、まったく自分の心を休めることができず、(1)「普通の人には想像できないほどの疲労感」、(2)「膨大なるエネルギーの消耗感」に襲われます。

「毎回、60分レッスンのすべてを録音される」という経験は、教える側から述べれば、すこぶる困難な経験。しかし、わたくし自身、この教授法(学習者にとっては「学習法」)を変えるつもりはありません。その理由は、たった一つです。なぜならば、この教授法(学習法)が、相当数ある教授法(学習法)の中で、最も効果的な方法であるからです。

学習者においては、レッスンのすべてを録音し、その上で、「レッスン中にメモを取る」という学習方法を採っていくことにより、「最も確実、且つ、堅実な方法」で前に進むことができます。皆さん、この機会に是非、今再び、「銀座書斎で経験できる学びの醍醐味」について考えてみてください。

弟子が、継続的努力を積み重ねて「一定の精神ステージ」に到達すると、第二稽古場(森のギャラリー)にて、「人類」(humankind)という立ち位置から、師である生井利幸と共に晩餐会を楽しむことができます。晩餐会に於いて生井利幸が講じる内容は、アメリカやヨーロッパの大学院の学術レヴェルを遥かに超越する内容です。弟子は、晩餐会での耳学問の学習経験を介して、人類愛を基盤として、学問・文化・芸術等、「世界レヴェルの教養」を養う道を歩むことができます。

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