真の道とは、先に行けば行くほどに「危険」です。なぜならば、真の道は、先に行けば行くほどに、その道幅が狭くなるからです。
先に進まない(進めない)人間が見ている道は、「たっぷりと余裕のある安全な道」。その道幅は、かなり「広い幅」です。
本来、真の道を歩む人間にとって、「安心」「余裕」「安全」などどいう感覚はありません。言葉を換えると、不完全な存在者である人間が、頗る短い命の期間に於いて「人間としての究極的境地」に到達することを目指すのであれば、そこに、「安心」「余裕」を感じる一秒など、まさに”皆無”です。
弟子選考試験・受験準備学習者・S.M.さんは、「私には時間がありません」、「この限られた人生の時間において、どこまで行けるかわかりませんが、とにかく全力で前に進みたいです」という趣旨の言葉を師の面前で発しています。わたくしは、この言葉は、まさに、「この言葉を発する本人の『一秒に対する価値観』」を表現・証明するものであると捉えています。
真の道を賦与し、教授し続けるわたくし生井利幸自身、「この身体」を、今現在と同じ状態のまま、永遠に維持できるわけではありません。生井利幸の身体が「”生身の人間”としての身体」である以上、この地球上で使えるその期間は、実に限られた期間です。師も、怪我をすれば血が出、しばしば病気にもなります。
人間としての身体は、「”生身の人間”としての命」が終了すれば、腐敗し、やがて消滅します。しかし、その命の中に存在していた「精神」(spirit)は、残り、永遠に生き続けます。
弟子たちが、「師の精神性の中に自分の身を置き、そこで、24時間生き続ける」という生き方には、単に、「勉強の仕方」という意味合いだけでなく、「弟子が、永遠に存在する師の精神の中で生き、勉強し続けると、そこで得たものがずっと生き続ける」という意味があります。
現在、弟子、及び、一定のステージに到達した受講生は、「心と精神の違い」について、少しずつ、わかりかけてきています。わたくしの下で学ぶ存在者が両者(心と精神)の相違についてしっかりと認識・理解できるようになるには相当年数が必要ですが、通常、人間は、心と精神の違いがわかってくると、(1)「精神についての捉え方」、(2)「精神との向き合い方」について、さらに真剣に考えるようになります。
最後に、もう一度述べます。「危機意識」を持ちましょう。正真正銘の本物の道は、先に行けば行くほどに、「危ない道」となります。
「賢者は、英知を知れば知るほどに、今現在の一秒を無駄にしない」という真実は、古今東西、常に同じ様相・有様です。愚か者ほど、今現在の一秒の面前で胡坐(あぐら)をかき、たっぷりと安心して毎日を過ごします。
たっぷりと安心して毎日を過ごせば過ごすほど、限られた人間の生の「質」を低下・悪化・腐敗させ、その生の「期間」を無駄にします。
追記:
2018年12月9日(日)、5:00現在、弟子たちの中で最も先に進んでいるH.K.さんは、師から、かなり頻繁に、以下の如き指導を受けています。
「一秒でも油断したら、すぐに落ちますよ。英知・美意識とは、それを積み上げ、構築していくには、相当なる努力と年月が必要です。一度、積み上げ、一定のところまで構築しても、少しでも油断すれば、何年もかけて積み上げてきたものが、一日、いや、一瞬のうちに崩壊します。」
英知・美意識は、積み上げていくのは大変ですが、崩壊は、実に簡単です。皆さん、今ここで、積木の「不安定さ」「もろさ」を想像してください。”不完全存在者”である人間の人生は、言うなれば、積木のようなものです。