真の意味に於ける自己の発展とは、毎日の24時間の時間的空間の中、「律する一秒の連続的経験の範疇・枠組み」の中で生まれるものです。
毎日、迎える一秒一秒を律し、厳格に生きることは、自己の発展を実現する上で基本となる生き方です。では、時折、「楽しい時間」「リラックスした時間」を持つとき、そのような時間をどのような心理構造の下で持つべきでしょうか。
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(1)「律する一秒の連続的経験」と、(2)「楽しい時間・リラックスした時間」の間には、ある程度の距離・空間があり、それら両者を、まったく別物として捉える。
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「律する一秒の連続的経験の『連続性』」という範疇・枠組みの中で、時として、「楽しい時間・リラックスした時間」を持つ。
本稿に於いては、この場で、答えを書かないことにします。この問題について深い思索を試みるとき、最も適切なヒントとなることは、「師から賦与される正式神聖指導の中で一秒一秒を刻み続ける弟子としての生き方、及び、時間の捉え方について考えてみる」ということです。
例えば、何らかの機会があり、師と共に赤ワインを飲む時間があったとき、その赤ワインをどのように捉えるべきでしょうか。
1 美味しい赤ワインを美味しく味わい、それ以外のことは考えない
2 美味しい赤ワインを美味しく味わいながら、同時に、正式神聖指導の下での「その経験に存する普遍的意味・意義」について考える
◆本質的思索のために
"Toshiyuki Namai has no second to give his disciples anything local in his life limited as a being who possesses the human body here on earth."
"There is no second to waste for Toshiyuki Namai's disciples who have time and life limited."