わたくし生井利幸は、銀座書斎・奥の聖域に於いて、「センチ単位の調整」ではなく、『「ミリ単位」の微調整』で、すべての芸術作品の配置を行っています。この「繊細性極まりない微調整による”超越的”美術作品配置法」を駆使するわたくし生井利幸に於いては、主要な美術館を訪れるとき、館内で「芸術作品についての雑な配置方法」が目につきます。
雑で、鈍感な存在者には想像できないことですが、"an aesthete aesthetically and transcendentally sharpened"、即ち、「『”超越的”感性性』を備える唯美主義者(審美眼の持ち主)」には、<感覚で、雑に事物を見る存在者>にはわからないことが、実に鮮明にわかります。
銀座書斎・奥の聖域では、サイズが大きい絵画も、小さい絵画も、センチ単位はもとより、ミリ単位で、わたくしが配置した場所と異なる場所に動いていた場合、それを見た瞬間、「どうしてその絵画が動いたのか」についてわかります。
一般論として述べるならば、絵画についてその人なりに詳しく、且つ、自宅に絵画を飾っている人であれば、何らかの理由で、その場所が3センチ動いた場合、そのことに気付くことがあるでしょう。
一方、わたくし生井利幸の場合、<センチ単位の相違>ではなく、「ミリ単位の相違」で絵画の配置場所が違っているだけでも、その相違を見た瞬間、すぐにわかります。
銀座書斎・奥の聖域の一番奥の窓(銀座マロニエ通り側の窓)を開けたとき、外の風が奥の聖域に入ることがあります。わたくしは、外から入ってくる風と絵画の関係性について常に注意・考慮し、(1)「風で落ちる絵画はどれか」、(2)「どんなに強い風が入ってきても絶対に落ちない絵画(動かない絵画)はどれか」等、弟子たちが想像する以上に、「普通の常識を超越した『物理的計算』、及び、『芸術的計算』の下で、そのすべてを配置しています。このような理由から、奥の聖域の窓を開けるときは、「風が吹いていないときのみ」としています。したがって、わたくし自身、奥の聖域の清掃を行うとき、風が吹いている場合は、「風の強度」によって、「窓を開ける『幅』」を微調整しています。
弟子が、銀座書斎・奥の聖域の清掃を行うとき、師の「ミリ単位の”超越的”美術作品配置法」を踏まえて繊細・詳細に清掃を行うと、「師の美意識」について少しずつ学習することができます。
弟子は、本稿に於ける記述内容をしっかりと認識・理解し、銀座書斎・奥の聖域にて、何らかの理由で絵画を落としてしまったとき(動かしてしまったとき)、必ず、真実を師に伝えてください。例えば、奥の聖域にて絵画を落としてしまったとき、「自分の不注意」で落としてしまった(動かしてしまった)ときは、師に対して真実を述べることが最善の策です。弟子が「自分の不注意」で落としてしまったとき、師に嘘を伝えても、師には真実がわかります(但し、師は笑顔で対応し、その嘘について問い質(ただ)すことはありません)。