現在、弟子たちは、自分の体力の「限界の『限界』」に挑戦しています。本来、「気力」は「体力の限界の限界」を拡大します。しかし、弟子が、清掃活動、及び、学習活動を行っているとき、適度な休憩は必要でしょう。
聖書を根源とする「神聖」(holiness)の範疇・枠組みに於いて、「休憩」には、”2つの休憩”があります。
◆休憩についての2類型
1)必要な休憩
「体力の限界の限界」に直面しそうになったときには、必要な休憩が「必要不可欠」。
2)不必要な休憩
生井利幸が賦与する正式神聖指導の範疇・枠組みに於いて「神聖の道」を歩むそのプロセスに於ける”不必要な休憩”は、「自己の心と精神」を大きく堕落させる。「神聖な学問所」である銀座書斎内部を、企業等によって営利目的で営業が行われている「”世俗的要素が蔓延した”、一般のレストラン・施設・休憩所等と同じように捉える」行為は、神聖に反する「悪」(evil)であり、且つ、「罪」(sin)を犯す行為である。
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弟子たちは、師が既に賦与した関係教材を再確認し、「限界の限界」に挑戦するそのプロセスに於いて、各自、深い思索を介し、「必要な休憩」を取ってください。「師が銀座書斎を不在中、弟子が自分の判断で銀座書斎内部に入室できるようにした師の正式神聖指導」は、まさに、このためにあります。
「師が銀座書斎を不在にしているとき、弟子が銀座書斎内部に入室できる許可を賦与したその正式神聖指導」には、「神聖なる意味」がそこに内在しています。
弟子の中には、この「神聖なる意味」を理解していない弟子もいます。一方、この「神聖なる意味」を理解している弟子は、必要に応じて、自分の判断で、銀座書斎内部に入室し、「必要な休憩」を取ってください。
◆正式神聖指導
わたくし生井利幸は、「自己の限界の限界に挑戦している『正真正銘の生井利幸の弟子』」が、生井利幸が銀座書斎を不在にしているとき、自己の判断で、既に賦与した規則にしたがって「必要な休憩」を取るために銀座書斎内部に入室し、「必要な栄養」を摂取することを奨励する。