世界レヴェルへの道

rectificationの意味・・・第7等級弟子の初期的段階についての概説(絶対的真理)

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今般は、前回の「世界レヴェルへの道」にて掲載した[文書教材Ⅰ]と、本稿に於いて掲載した[文書教材Ⅱ]をしっかりと精読し、双方に於ける講義内容について読み比べてください。

[文書教材Ⅰ]
rectificationの意味・・・第7等級弟子の初期的段階についての概説

[文書教材Ⅱ]
rectificationの意味・・・第7等級弟子の初期的段階についての概説(絶対的真理)

まず第一に言えることは、「わたくし生井利幸の弟子ではない一般の外部者がこれら2つの文書教材を読み比べても、その違いについて、何ら感じることはない」ということです。一方、生井利幸が賦与する正式神聖指導の範疇・枠組みに於いて、生井利幸が賦与するすべての教授内容・プロセスをしっかりと通って具体的transubstantiationの体験具現を何度も積み重ねている弟子は、「上記2つの文書教材に於ける『巨大なる相違』」について、明確に認識・理解できるでしょう。普通の人が何も感じることのない「その違い」について、「その違い」を『巨大なる相違』であると捉えることができる弟子は、「正真正銘の、生井利幸の”直系”・”直属”の弟子」であると明言することができます。

rectificationの意味・・・第7等級弟子の初期的段階についての概説(絶対的真理)

本稿にて、「弟子の等級」に関して、以下に掲げる各・名称についてその概要を講じます。

第7等級弟子: disciple
第7等級弟子: disciple prepared to be pre-rectified
第7等級弟子: disciple pre-rectified
第7等級弟子: disciple rectified

各・名称についての概要

第7等級弟子: disciple
discipleとは、「単に、生井利幸の弟子になった」という如き、所謂、「”素”の弟子」の状態を意味する。素の弟子が、濃度の濃いtransubstantiation、即ち、「具体的transubstantiation」を体験具現することは完全に不可能である。具体的transubstantiationの体験具現の邪魔をする諸要素とは、「弟子本人が無意識のうちに持っている数多くの固定観念、本質的要素不在のローカル意識、自己中心的エゴ、自己陶酔等」である。

第7等級弟子: disciple prepared to be pre-rectified
”前”・矯正準備段階の弟子。

第7等級弟子: disciple pre-rectified
”前”・矯正段階の弟子。

第7等級弟子: disciple rectified
”前”・矯正段階過程を経験し(通り)、「真の矯正に向けた道のり」を歩み始めた弟子を指す。真の矯正は、第6等級準備ステージ・タイトルホールダーを正式神聖賦与された以降も、相当年数にわたって続く。disciple rectifiedについての実際に於けるその具体的詳細は、"disciple rectified to some extent at an early stage"を意味する。

・・・矯正(rectification)についての概念・・
神の法を根源とする正式神聖指導の範疇・枠組みに於ける「矯正」(きょうせい)とは、この地球に存在する「本質的要素不在の地域性の中に蔓延する『固定観念』(stereotype)」から自己を解放させる目的の下、自己に於ける盲目・無知の状態から、「神の法の下、『本来の人間存在としての正しい生き方』を実現するべく、自己に於ける欠点・盲目状態からの脱皮を図る」ことを意味する。

第7等級弟子として必要とされるすべての学習を経験し、すべてのプロセスを通っていることを大前提として、弟子が「必要とされる”ほとんどすべて”のrectification」を経験したとき、生井利幸から弟子に対して「第6等級弟子:disciple purified」が正式神聖賦与される。必要とされる”すべて”のrectificationを経験するには、それぞれの弟子に於いて相当年数を必要とする。

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