現在のわたくしの背中の痛みは、「燃えるような痛み」です。「燃えるような痛み」、・・・表現を換えると、「焼けるような痛み」(現実には、・・のようなではなく、実際に背中を焼かれた痛み)です。
わたくしは、生井利幸事務所・銀座書斎開設以来、自身の背中の痛みと共に、この銀座書斎を維持し、守り続けてきました。わたくしに於ける「背中が鉄板の如く硬い」という有様は、弟子は皆、知っていることです。しかし、この「燃えるような痛み」「焼けるような痛み」については、弟子によっては知らない人もいるでしょう。
背中が燃えているとは、少し詳しく述べると、「背中が燃えながら痺(しび)れている」という症状です。この症状は、普通の人では「”我慢の限界の域”を遥かに超えた、まさに耐え難い激痛」です。
弟子たちよ、「毎日の一秒一秒に於ける自己の学びの経験」の中に、”さらに本気になって”「自分の命」を投入しなさい。普通の方法で学習するだけでは、後に、そのほとんどすべてを忘れ去り、失います。
学習したことを忘れず、失わないためには、「transubstantiationの経験」を積み重ねること以外に、方法はありません。毎日、師が賦与する正式神聖指導通りに道を歩み、命をはってtransubstantiationを積み重ねていくと、弟子は、少しずつ、生井利幸によって引き上げられていきます。
弟子は、生井利幸によって引き上げられることにより、弟子の中に、上辺だけのものではない(安っぽいローカルな損得勘定で上辺を触っただけのものではない)「真(しん)の知識・教養」が入り、それらが自然な形で樹立・構築され、弟子の中で残り続けていきます。
命をはって生井利幸の英知・美意識を引き継ぐ経験を積み重ねていくと、弟子は、生井利幸が毎日経験している「燃えるような背中の痛み」の(1)『症状の実際』、及び、(2)『出所(でどころ)』についても、より具体的にわかるようになります。
命をはって生井利幸の英知・美意識を引き継いでいる弟子が、生井利幸の『背中の症状の実際、及び、その症状の出所』について、他人のことではなく「自分のこと」として認識・理解するならば、弟子自身、ためらうことなく、「transubstantiationの体験具現」を、自分の人生の期間に於ける最優先事項と捉えるでしょう。
この地球上に、「生井利幸からのtransubstantiationの体験具現」を超える最高峰の英知・美意識の継受方法は、他には存在しません。弟子は、「既に決意したことをやるのみ」です。生井利幸は、毎日、すべての一秒一秒に於いて、弟子に表明したことを、”そっくりそのままの形”で行い続けています。