世界レヴェルへの道 学問

「生井利幸の”直系”・”直属”の弟子としての『基礎』」の構築計画 <24>

投稿日:

■rectificationの正道を通った弟子のみが、「真の、生井利幸の"直系"・"直属"の弟子」になる

<1> disciple and discipline

「弟子」(disciple)とは、「師の教え・導きにしたがって、師の教え・導きの通りに道を歩む者」を指す。弟子とは、所謂、「門弟(もんてい)」(a disciple who entered the gate given by a teacher)を意味する。「門弟」とは、師が賦与した「師の門」(the gate given by a teacher)の真正面から入り、その「師の門」から入った後、師の教え・導きにしたがって、「師が賦与する訓練・修養・鍛錬(discipline)を受ける者」を指す。

「訓練」(discipline)とは、「師が賦与する訓練」(discipline given by a teacher)を意味する。

師の教え・導きに「地域的、且つ、自分本位な色」を塗り、「地域的、且つ、自分本位な捉え方・解釈」をする門弟は、真(しん)の門弟ではない。偽りの門弟には一生涯わからないことであるが、師が門弟に賦与する訓練は、そのすべてが、「門弟自身の普遍的発展、及び、永久的幸福」を目的とする訓練である。それ以外はない。

<2> 弟子が知るべき「rectificationの意味」

1) rectification(矯正)についての概念

神の法を根源とする正式神聖指導の範疇・枠組みに於ける「矯正」(きょうせい)とは、この地球に存在する「本質的要素不在の地域性の中に蔓延する『固定観念』(stereotype)」から自己を解放させる目的の下、自己に於ける盲目・無知の状態から、「神の法の下、『本来の人間存在としての正しい生き方』を実現するべく、自己に於ける欠点・盲目状態からの脱皮を図る」ことを意味する。

第7等級弟子として必要とされるすべての学習を経験し、すべてのプロセスを通っていることを大前提として、弟子が「必要とされる”ほとんどすべて”のrectification」を経験したとき、生井利幸から弟子に対して「第6等級弟子:disciple purified」が正式神聖賦与される。必要とされる”すべて”のrectificationを経験するには、それぞれの弟子に於いて相当年数を必要とする。

2) 弟子の等級に於ける「rectificationの個々の呼称」

 第7等級弟子: disciple
 第7等級弟子: disciple prepared to be pre-rectified
 第7等級弟子: disciple pre-rectified
 第7等級弟子: disciple rectified

3) rectificationに関する個々の呼称の概念

第7等級弟子: disciple
discipleとは、「単に、生井利幸の弟子になった」という如き、所謂、「”素”の弟子」の状態を意味する。素の弟子が、濃度の濃いtransubstantiation、即ち、「具体的transubstantiation」を体験具現することは完全に不可能である。具体的transubstantiationの体験具現の邪魔をする諸要素とは、「弟子本人が無意識のうちに持っている数多くの固定観念、本質的要素不在のローカル意識、自己中心的エゴ、自己陶酔等」である。

第7等級弟子: disciple prepared to be pre-rectified
”前”・矯正準備段階の弟子。

第7等級弟子: disciple pre-rectified
”前”・矯正段階の弟子。

第7等級弟子: disciple rectified
”前”・矯正段階過程を経験し(通り)、「真の矯正に向けた道のり」を歩み始めた弟子を指す。真の矯正は、第6等級準備ステージ・タイトルホールダーを正式神聖賦与された以降も、相当年数にわたって続く。disciple rectifiedについての実際に於けるその具体的詳細は、"disciple rectified to some extent at an early stage"を意味する。

<3> 世俗的な知識欲を源とする「自己中心的な我」は、transubstantiationを不可能にする

一般社会に於ける世俗的人間が持つ”通常の知識欲”を源として、機械的に「英語音声講義」、及び、「文書教材」のノートをつくり、”その欲”を源として、表面的に教材を暗記しても、弟子の存在性の中に「生井利幸が賦与する英知・美意識」が残り、宿ることはない。

弟子が生井利幸によって引き上げられることを邪魔するものは、弟子自身がネガティブに支配されている「偏狭、且つ、安っぽい『我』」である。この種の「我」は、transubstantiationを不可能にする。不必要なしがらみから離れ、健康・健全な心を基盤として「自己中心的な我」を捨てる弟子は、本日のこの瞬間から「小さなtransubstantiation」を経験する。

 [英語音声講義]
 ⇒ The most harmful enemy against you is "selfishness" in you.(英語音声講義)

-世界レヴェルへの道, 学問

Copyright© 弟子専用ウェブサイト , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.