世界レヴェルへの道 学問

「命をはって、生井利幸の英知を引き継ぐという経験」と「命で、生井利幸の英知を引き継ぐという経験」には、それぞれ『巨大な相違』が実在する・・・(修正加筆)

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生井利幸の”直系”・”直属”の弟子たちは、稽古場に入場するとき、自分たちの名札の下に設置されてる「在」、及び、「不在」の札を使用して、「自分たちの『命の所在』」(現在、自分の命がここに所在している、という宣言・表明)を明確に示しています。弟子たちの名札は、2022年8月28日(日)現在、生井利幸が実在している「この地球に於ける、『生井利幸事務所の表玄関』の一番目立つ場所」に設置してあります。表玄関に設置してある弟子たちの名札は、”無意味に”、そして、”無条件に”、その設置が続けられるものではありません。弟子は、「自分の命」で生井利幸の英知を引き継がない限り、この地球上の「生井利幸の表玄関」に自分の名札を置いておくことはできません。弟子が、自分の身体を使う期間を終了した後(死を迎えた時)、天上の「神の国」に入るには、死を迎えるまでの間、この地球の表面にある「生井利幸がつくった『神の国』」に存在し続けることが必要です。

2022年8月28日(日)、「本日の『今』」、生井利幸の”直系”・”直属”の弟子は、

 (1)「命をはって、師の英知・美意識を引き継ぐ経験」
 (2)「”命で”、師の英知・美意識を引き継ぐ経験」

の違いを哲学しなさい。

生井利幸の”直系”・”直属”の弟子には、「”自分の命”で、師の英知・美意識を引き継ぐ『特権』」が正式神聖賦与されている。弟子が生井利幸によって引き上げられることを邪魔するものは、弟子自身がネガティブに支配されている「偏狭、且つ、安っぽい『我』」である。この種の「我」は、transubstantiationを不可能にする。

不必要なしがらみから離れ、健康・健全な心を基盤として「自己中心的な我」を捨てる弟子は、本日のこの瞬間から「小さなtransubstantiation」を経験する。知識欲から、機械的に「英語音声講義」、及び、「文書教材」のノートをつくり、欲からそれを表面的に暗記しても、弟子の存在性の中に「生井利幸が賦与する英知・美意識」が残り、宿ることはない。

 ■正式神聖英語音声講義
 ⇒ Deviation from Toshiyuki Namai’s spirituality engenders no genealogical anthropocentric spirituality as his disciple.(正式神聖英語音声講義)

愚かな弟子は、時として、自分を律し、戒めることを忘れる(怠る)。自分を律し、戒めることを忘れる弟子は、自分自身によって「生井利幸から正式神聖賦与されたすべて」を大崩壊させ、過去の自分(元々の自分)に戻る。

神の法の下、「生井利幸が正式神聖賦与する正式神聖指導の範疇・枠組み」に於いて、自分を律し、戒めることを忘れる弟子は、「生井利幸によって神聖的に引き上げられる」という如き”超越的”、且つ、”神聖的”経験をすることは不可能である。

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