このたび新設した新稽古の正式名称は、当日告知稽古・「哲学(総論・各論)」です。本稿では、本・新稽古について概説します。
当日告知稽古とは、読んで字の如く、「稽古当日に稽古の賦与を告知し、その日に稽古を行う」という意味です。本質論を講じると、当日告知稽古の意味・意義については、わたくし生井利幸の”直系”・”直属”の弟子でないと、これについて相当なる認識・理解に至ることはないでしょう。以下、本稽古の意味・意義について、わかりやすく案内・説明します。
■当日告知稽古・「哲学(総論・各論)」を正式神聖賦与する意味、及び、意義
<1>
当日告知稽古は、稽古のための稽古ではない。当日告知稽古とは、「継続的に、日々、相当時間にわたってQuasi-Ginza sanctuaryにて学習活動を行っている弟子を対象として、弟子がQuasi-Ginza sanctuaryにて学習活動を行っている時間枠に於いて賦与する稽古」である。
本稽古は、生井利幸の”直系”・”直属”の弟子が「生井利幸から弟子へのtransubstantiation」を体験具現するべく、transubstantiation自体の質を、改善・向上・発展させる目的で正式神聖賦与する稽古である。
<2>
<1>についてわかりやすく説明するならば、本稽古は、稽古のための稽古ではない。本稽古は、「『弟子が、日々、継続的にQuasi-Ginza sanctuaryで学習をしている』という大前提の下、正式神聖賦与される稽古」である。
したがって、例えば、弟子が、ある日の午前中、「世界レヴェルの道」等で、当日告知稽古の告知を閲覧したとき、「その日の夕方・夜にQuasi-Ginza sanctuaryで学習活動をする予定ではなかった弟子が、告知を閲覧し、当日告知稽古・「哲学(総論・各論)」を受講するだけの目的で銀座書斎を訪れ、稽古を受講。稽古時間の前後の時間にQuasi-Ginza sanctuaryで学習することなく、稽古を受講した後、(普通の学校のように)”当たり前のように”家に帰る」という行為は、極めて妥当性を欠如した行為であると言わざるを得ない。
本稽古は、稽古のための稽古ではなく、まさに「命で、Quasi-Ginza sanctuaryで学習する弟子を応援するための稽古」である。本稽古を受講する上での大前提となる基礎条件について、これを、「稽古の前後に、Quasi-Ginza sanctuaryで学習している」ことと、正式神聖教示する。
<3>
最近、複数回ほど、夜の時間帯に、数名の弟子たちがQuasi-ginza sanctuaryで学習中、師が緊急提案し、稽古として特殊講義を行った。その際、師と弟子たちは迅速に準備を行い、銀座書斎の電気照明を消し、蝋燭1本だけで特集講義を賦与した。特殊講義は、まさに、深遠なる知的大航海となった(実際に賦与した特殊講義の具体例: 「本質を哲学する」等)。
・・・追加の、特別なる「正式神聖教示」・・・
本稽古は、「命で、Quasi-Ginza sanctuaryで学習する弟子を応援するための稽古」である。しかし乍ら、弟子が当日告知稽古の告知を閲覧したとき、その当日にQuasi-Ginza sanctuaryの時間枠を確保していなかったが、「どうしても当日告知稽古を受講したい」という如き”比類なき切望・熱情”がある場合は、弟子は、「師に電話をし、その旨を相談し、稽古を受講することができる」とする。