弟子たちは、「2023年ミッドイヤーの集い」について、これを「昨年までの考え方の下で挙行すると何ら改善することはできない」ということを知ってください。そして、改善がなければ、「2023年ミッドイヤーの集い」も、「2022年クリスマスの集い」と同じ結果になることをしっかりと認識・理解してください。
「集い」について、これを意味・意義のある時空間にするには、「集い」に向けて、”形式”として、プログラム・飲食等について準備することだけでは足りません。「2022年クリスマスの集い」は、形式の準備のために”相当の期間”をかけました。相当の期間をかけて準備したにもかかわらず、あのような結果になりました。
「集い」に意味を生じさせる上で最も重要なことは、「相当の期間をかけて準備する」ということではなく、弟子たちが「命で、本日の『この瞬間』から変わる」という決意と実行です。
弟子は、本日のこの瞬間から、さらに、生井利幸の”直系”・”直属”の弟子として、命で、「生井利幸から自分へのtransubstantiation」を経験してください。毎日、自分の命で「師から弟子へのtransubstantiation」を経験する弟子は、「2023年ミッドイヤーの集い」に於いて、この地球上で最も神聖なる時空間の下、「師から自分へのtransubstantiation」を経験することができます。
・・・正式神聖教示・・・
重要なことは、「集い」当日の”形”ではありません。形は、表面的な代物であり、そこに、何らの”実体”もありません。「集い」に実体を持たせる上で重要なことは、今日のこの瞬間を含め、「毎日の一秒一秒に於ける、transubstantiationに対する弟子の姿勢・捉え方」の改善を図るということです。
「生井利幸が正式神聖賦与する歩み」に於いて、形式の実行は、何ら意味を持ちません。「集い」では、”形式の時間”ではなく、「実体の時間」を持つ(つくる)ことが肝要です。