1 命について、心だけでなく、「命」で捉える
シリーズで掲載している連続文書教材、『師に於ける「針の筵(むしろ)」(the bed of thorns)の意味』は、本稿で第3回目になります。
生井利幸の本物の弟子であるならば、英語音声講義、"The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅱ"を受講すると、「命」について、机上の理論ではなく、「自己の命」で感じ取ることができます(本英語音声講義は、2017年3月、「基盤学習ページ」に掲載済みの教材)。
◆「基盤学習ページ」内掲載、弟子用英語音声講義
⇒ The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅱ(英語音声講義)
◆思索のヒント
1 命とは何か。
2 命は、どのように生かすべきか。
3 命は、どのように活かすべきか。
4 1)「命をはって生きる」と、2)「ただ単に楽に生きる」は、それぞれ異なる様相・有様である。
5 生井利幸の弟子は、「毎日迎える一秒一秒」について、それをどのように刻み続けるべきなのか。
6 口だけでなく、命から危機意識を持たない限り、「命の尊さ」「命の尊厳性」について理解することはない。
7 固定観念社会に存在する「安心」「安定」「保障」でつくられている『鉄棒』にぶら下がって生きている限り、「命をはる」という意味・様相・有様を知ることはない。
前掲英語音声講義、"The meaning of desert for you to be a Toshiyuki Namai's disciple Ⅱ"は、近年に於いて、わたくしの体の状態が一番悪かったときに録音・編集・掲載した英語音声講義です(普通の人であれば、この状態で、平常時と同じように活動する人はいないでしょう)。この教材は、まさに、「針の筵」に全身を乗せて録音・作成した教材です。
2 師が、「針の筵」の上で刻み続ける「一秒一秒の意味」
わたくしは、弟子たちに対して、必要に応じて、「一秒を無駄にする人は、人生そのものを無駄にする」という教えを賦与します。人間の一生は、宇宙空間に於いては、「ほんの一瞬の出来事」です。微小なる存在者である人間が過ごす80年、90年ほどの時間的空間は、宇宙の時間で言えば、ほんの一瞬の出来事でしかありません。
昨日に掲載した『師に於ける「針の筵(むしろ)」(the bed of thorns)の意味』の<1>、及び、<2>を精読し、ノート作成を行わなければしっかりと認識・理解することは不可能ですが、わたくしが毎日経験する「針の莚の上で刻み続ける一秒一秒」は、名実ともに、「わたくしの命そのもの」です。
実際、毎日の一秒一秒に於いて、わたくし自身、「いつ、倒れるだろうか」、「いつ、気絶するだろうか」と、自分に問い続けながら生きています。「今現在、一秒一秒を刻んでいる。では、1分後も、同じように、一秒一秒を刻むことができるのだろうか」と、常に、考えながら生きています。
弟子たちを、世界レヴェルの教養人として育て、仕上げていくのに、相当なる年月が必要です。無論、わたくし自身、体力・精神力の「限界の限界」まで教授していきます。ただ、実際問題として、あと、どれぐらいの年月の間、「弟子たちに於ける真の発展・幸福」のために、この体を使うことができるのでしょうか。
わたくし自身、”極限まで”頑張ります。一方、弟子たちに於いては、(1)「師は、現在と同じ状態を維持し、あと何年教えることができるのか」、(2)「師は、あと何年、銀座書斎を維持することができるのだろうか」ということも想像してください。(1)「師の健康状態」も、(2)「学習者が学ぶ場所」も、そこに、無条件に存在しているわけではありません。両者を存在させし続けるために、わたくし自身、他人には見えない場所で汗と涙を流し、誰にもわからないように「それなりの対価」を払っています。"Nothing is free in this material world. If you wish to keep what you need, you must pay the price for it."
師の健康状態については、「見た目」の印象は、何ら参考にはなりません。見た目の印象は元気そうですが、実際、体は、背中だけでなく、全身がボロボロの状態です。人間は、「生もの」(生物・生命体)です。師の体も、あちこち、相当痛んでいます。
アメリカ合衆国は「車社会」です。このことをアメリカ社会でたとえると、わたくしが刻む一秒一秒は、「4,000ドルほどで買える相当乗りつくされた中古車が、果てしなく続くフリーウェー(高速道路)を、古いエンジン全開で、最後のエネルギーを振り絞って全力で走っている」という有様と同じです。銀座書斎で学ぶすべての学習者に対して言えることですが、「生井利幸のエンジンが故障し、修理しても、もうこれ以上は使えない」という事態が起きる前に、しっかりと危機意識を持って、毎日、一秒たりとも無駄にすることなく勉強するべきです。わたくしが倒れ、同じように教えることができなくなる日は、遅かれ早かれ到来します(もちろん、わたくし自身、「限界の限界」(極限)まで頑張ります)。
学習者は、(1)「自分に於ける一秒」と同時に、(2)「生井利幸に於ける一秒」についても深い思索をし、毎日、自分の命で、「崇高なる志」「神聖なる志」を堅持・維持して、一秒一秒を迎えてください。
補足:
英語道弟子課程は、「生井利幸の命の権化(embodiment)」です。