世界レヴェルへの道 学問

学問と学徳の相違

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生井利幸は、学問を教授しますが、その学問とは、単なる学問ではありません。生井利幸が教授するその学問とは、所謂、「学徳」です。

学徳とは、「学問」と「徳業」。わたくしの教授理念の根幹の一つは「学徳」、即ち、「学問と徳業の融合」です。

徳業とは、「徳」(virtue)を行うこと。わかりやすく言えば、「道徳」(morality)を行うことです。

学徳の精神を維持するには、一事が万事に於いて、「油断しないこと」です。油断とは、通常、(1)「うまくいっているとき」、(2)「幸せの絶頂期のとき」、そして、(3)「もう大丈夫だ」と思い込んでいるときに経験する<心の中の安心感から生じる”驕り・高ぶり”>を指します。

「油断大敵」、・・・弟子たちには何度も教授していますが、うまくいっているときに最も注意しなければならないことは、「油断すること」です。

弟子が油断すると、師は、その場で、一瞬にしてわかります。弟子が、師の目の前にいてもいなくても、弟子が油断したその瞬間、師には、「弟子の真実」がわかります。

油断すると、明日を待たずに、”油断したその日のその瞬間に”、弟子自身が構築してきたものが「総崩れ」「大崩壊」します。

・・・導き 一・・・
弟子たちよ、学問を学ぶだけでなく、「徳」を行いなさい。学問とは、「徳」を行うために存在します。徳を行うとき、油断は、マイナス要因にしかなりません。

・・・導き 二・・・
弟子は、師が自分に対して優しく接しているときこそ、「自分に於ける厳格性」を維持し、すべてのことに対して「最大の注意」を払うべきです。師が弟子に対して優しく接しているとき、弟子がその優しさの面前で胡坐(あぐら)をかいてしまうと、「師が与えるその優しさの”意味”・”真意”」が無価値となり、その優しさが台無しになります。

・・・導き 三・・・
弟子たちよ、疲れたときは、適度に休憩しなさい。但し、(1)「必要性があって休憩すること」と(2)「油断すること」は、根本の根本から異なる行為です。健康を維持するために適度に休むことは必要ですが、「油断」は不必要です。弟子たちは、「休憩」と「油断」は、それぞれ異なる概念・行為であることを自分に言い聞かせなさい。賢者は、休憩しているときも、決して油断することはありません。

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