本稿では、英語道弟子課程に於ける、以下の「2つの立ち位置」について講じます。
・第7等級弟子: disciple
・第7等級弟子: disciple rectified
素の"disciple"は、所謂、「”素の”、第7等級弟子」を意味します。「”素の”、第7等級弟子」とは、学習努力が実り、晴れて英語道弟子課程・弟子選考試験を合格し、『生井利幸の弟子』とはなったが、その後、当該弟子本人に於いて「何らの劇的変化が起きていない状態」を指します。
言及するには及びませんが、自己中心的な欲、即ち、「知識欲を源泉とする『自分(自分の家族)の幸福・利益のみを追求するローカルな学習』」は、何ら、意味を成しません。師である生井利幸は、今も昔も、弟子に於ける「ローカル意識を基盤とする自己中心的な欲」を実現させるために、正式神聖指導を賦与しているわけではありません。
本稿に於いて講じたいその真実は、(1)「第7等級弟子:discipleの立ち位置」と(2)「第7等級弟子:disciple rectifiedの立ち位置」を比較するとき、それら2つの立ち位置に於いては、実に「相当なる相違」がそこに存在する、という”真実”です。