世界レヴェルへの道 学問

「生井利幸の”直系”・”直属”の弟子としての『基礎』」の構築計画 <11>・・・(修正加筆(第5号))

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■弟子が直面している「足りているもの」と「足りていないもの」

<1> 足りているもの

本質論を述べるならば、今現在「足りている」という真実を悟らない人間は、将来に於いても、”通常の常識を遥かに超えて相当足りている”にもかかわらず、無思索状態のまま、「足りていない」と捉える愚か者である。この有様について哲学として捉えると、通常、このような愚か者を「非理性的存在者」と呼ぶ。

人間は、当初無かったものを得たその時は、「大きな喜び」を感じる。しかし、人間は、その後、それが”当たり前”のように存在し続けると、その存在自体に感謝することを忘れ、「もっと欲しくなる」という欲を持っている。

弟子たちよ、今現在、与えられているものについて、「もし、それが無くなってしまったらどうなるか」という根本問題について想像し、考えなさい。初心に返り、ゼロ(無)の状態を想像すると、今現在、賦与されていることのすべてが、実に、「通常の社会常識を遥かに超えた『贅沢三昧』」であることが明白にわかる。

Toshiyuki Namai's disciples are holily privileged to be disciplined to be more intellectual. There are so many necessary processes in order to know "how to use 'intellect'" given by God. His disciples chosen are those who are guided to experience the processes to know it.

When the woman saw that the fruit of the tree was good for food and pleasing to the eye, and also desirable for gaining wisdom, she took some and ate it. She also gave some to her husband, who was with her, and he ate it. (Genesis 3:6)

<2> 足りていないもの

2021年8月16日(月)、神聖なる学問所、即ち、「生井利幸事務所所管・英語道弟子課程」について、その学習環境に関して述べるならば、「足りている」という状況を大きく超えている。

英語道弟子課程は、客観的にそれを捉えてみると、「通常の社会常識を遥かに超えた『贅沢三昧』」そのものである。この、「弟子たちに賦与された贅沢三昧」について考えるとき、弟子たちは今、自分たちの学習状況について一体どのように捉えるだろうか。

「弟子たちに於ける学習環境」と「一人ひとりの弟子に於ける実際の学習状況」について捉える捉え方としては、以下の如き2つがある。

 ・・・弟子自身に於ける2つの捉え方・・・
 1) 賦与された学習環境に見合うと言えるほど、相当なる学習努力をしている
 2) 賦与された学習環境について考えるとき、自分の学習努力は「まだまだ足りていない」と痛感する

弟子・T.A.さんのノートの一部(受講生当時に作成)。

弟子・T.A.さんのノートの一部(受講生当時に作成)。

弟子・T.A.さんのノートの一部(受講生当時に作成)。

弟子・T.A.さんのノートの一部(受講生当時に作成)。

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