弟子が師に対して"The core 'sacred' in the inner part of heart"の中で対話する、・・・この対話は、transubstantiationを成立させる上で大前提となる経験です。
特に、銀座書斎の空気感は、「生井利幸の空気感」そのものです。弟子に対して、基盤稽古以外の時間枠に「銀座書斎の神聖なる空気感」を経験する機会を賦与しているのは、transubstantiationの体験具現への道筋に於いて「生井利幸の空気感の中に溶け込ませるため」でもあります。
弟子たちは、師から、「師が不在中に銀座書斎内部に入ると、『悪魔の声』を聞くことがある」という趣旨の指導を受けたことがあるでしょう。この「悪魔の声」を聞く弟子とは、弟子として、上記の"The core 'sacred' in the inner part of heart"の中で師と対話していない弟子が該当します。
一方、銀座書斎内部に於いて、決して悪魔の声を聞くことなく、時として「天使の声」を聞く弟子もいるでしょう。時として天使の声を聞く弟子は、一事が万事に於いて、"The core 'sacred' in the inner part of heart"の中で師と対話している弟子です。
「心の内側の部分の中心にある、”最も私的な場所”としての『中心核』(the core "sacred")」から、何らの迷い・曇り・壁をも持たずに師と対話している弟子が、銀座書斎内部で悪魔の声を聞き、(1)「わからないからいいだろう」、(2)「誰も見ていないからいいだろう」という心の状態の下で、「銀座書斎の神聖性」を汚す行為をすることはないでしょう。実際、弟子が悪魔の声を聞き、「銀座書斎の神聖性」を汚す行為を行った場合、師にはその行為がわかります。
また、「師とのコミュニケーションがうまくいかない」と感じる弟子は、「自分自身に、何らかの疚(やま)しいこと」があるからです。心の中に、「疚しいこと」「後ろめたいこと」「隠していること」「嘘をついていること」等がある弟子は、師とのコミュニケーションを不自然・不健全とさせ、”柔らかさ”とは真逆の「硬い空気感」を生じさせます。
柔らかい空気感は、弟子が「師の神聖なる空気感」を読み、そこに入るだけでなく、弟子自身も、健康・健全を維持し、常に「前向きな姿勢」で時を刻み続けることで生じます。言及するには及びませんが、「不健康・不健全」に生き、「後ろ向きな姿勢」で時を刻む人が柔らかい空気感を生じさせることはありません。