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ローカルな努力で到達できる境地は「ローカルな境地」、一方、普遍的な努力で到達できる境地は「普遍的な境地」

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人間一人の人生は、”例外なく”、「たった一度だけ」です。しかも、その人生は、宇宙の時間で言えば、「”ほんの一瞬のうちの”極小なる出来事」です。

A human being is the extremely slightest bit. As a matter of fact, he is unbelievably smaller than the slightest bit. Human being is "dust" floating on the surface of one of tinny rocks (it means "the earth") floating in the Universe given.

本稿に於いては、「人間が目指す境地」に関して、以下に掲げる2つの境地について考えてください。

 <1>
 ローカルな人でも、ローカルな努力をすれば到達することができる「ローカルな境地」。

 <2>
 ローカルな努力では決して到達することができない「普遍的な境地」。

一度しかない「自分の生」について捉え直すとき、<1>と<2>の生き方のどちらを選択するかという問題は、すべて「自分自身の判断・決断」に委ねられています。

宇宙を創造した神は、人間にこの判断・決断をさせるために、人間に「考える能力」を賦与しました。生井利幸が正式神聖指導として賦与する「理性性基盤構築稽古」は、このための道筋を「愛する弟子たち」に示し、愛する弟子たちを引き上げていくための普遍的な道筋を教授する稽古です。

ローカルな意識・捉え方で生きれば、この地球にて、ローカルなままで自分の身体を使う期間を終了します。一方、生井利幸が正式神聖賦与する正式神聖指導の下、普遍的な意識・捉え方を目指し、普遍的な境地に到達すれば、やがて、正真正銘の現実として「普遍的な境地」に到達し、「普遍性の中」に入ることができます。

■特別記述
(師から弟子たちに向けた「祝福としての教示」)

ローカルな努力、わかりやすく述べると、普通の人が行う普通の努力しか知らない普通の人は、”少々の努力”をするだけで、相当疲れます。その反面、普遍的な努力、即ち、普通の人間が経験する普通の限界の域を超え、「一般の人間が経験しない普遍的努力」を経験すると、どのように努力してもまったく疲れなくなります。普遍的努力を継続的に経験する日々を送っていくと、弟子自身、「生井利幸の英知・美意識の権化・化身」となる道がはっきりと見えるようになり、より確かな現実として、その道を歩むことができるようになります。

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