■生井利幸から弟子へのtransubstantiationを体験具現するための「早わかり行動表」
<1> 愚かな弟子は、「悪魔の声」を聞く
師が不在中、弟子が2人、3人、または、それ以上の人数で銀座書斎内部に入室した場合、”そこで弟子たちが経験するすべてが”、transubstantiationを台無しにする。弟子は、どのような状況に於いても、日々、師が賦与した正式神聖指導を守り、しっかりと前に進むこと。
銀座書斎内部に2人以上の弟子で入ると、”必ず”、「悪魔の声」を聞く。悪魔の声を聞いた瞬間、弟子は、「自分の命」を台無しにし、それと同時に、「師の命」も台無しにする。
補足:
上記についてわかりやすく講じると、弟子が銀座書斎内部に入室する必要性があるときは、「師が不在中は、銀座書斎内部に1人で入室する」ことを基本原則とする。無論、師が滞在中は、この限りではない。
<2> 毎日の24時間、師の精神性の中で生きる
師は、すべての弟子に対して、既に、無数の文書教材、英語音声講義、特殊講義、耳学問等を介して、弟子が備え、経験するべき基本の基本として、「毎日の24時間、師の精神性の中で生きる」ことの必要不可欠性を教えている。
<3> 師は、毎日、普通の人には決してわからない「超越的ステージ」、及び、「普遍的ステージ」の中で暮らしている
通常、師の外見や印象だけで、「師の生き方」について知ることはない。弟子は、通常、相当年数をかけて、このことを少しずつ知っていく。
<4> 師は、毎日、普通の人には決してわからない「神聖性」の中で暮らしている
2021年9月6日現在、一部の弟子たちは、自らの意思で、毎朝、師と共に「(普通の人にはわからない)”非日常的な”旅、”非地域的な”旅」をしている。
<5> transubstantiationを体験具現する弟子の典型は、「自分の家よりも、銀座書斎の重要性を優先する弟子」である
正真正銘の本物の弟子の典型は、(1)「自分の家、即ち、食事、睡眠、洗濯等を行うための場所、及び、地域的生活を行うための家」よりも、(2)「生井利幸の精神性の中に住み、少しずつ、精神性・理性性・神聖性へと入っていくための神聖なる学問所(銀座書斎)」を優先する。
<6> 銀座書斎入口エアリアと銀座書斎内部の関係性
銀座書斎入口エアリアと銀座書斎内部の関係性について捉えるとき、双方に於いて、何ら違いはない。心が貧しい弟子は、その貧しさが、自己の心の中にあり続けている限り、このことを理解することはない。
<7> 美意識構築稽古場は、銀座書斎「奥の聖域」と同じ神聖域である
生井利幸は、美意識構築稽古場(弟子専用稽古場、弟子専用”自主”稽古場)の再構築を行うとき、銀座書斎「奥の聖域」の再構築と同じ時間・エネルギーを投入している。
<8> 美意識構築稽古場の天井ライトを消し忘れるという行為は、「銀座書斎内部の天井ライトを消し忘れる行為」と同じ行為である
どのような場所であっても、「自分でつけたライトを自分で消す」という行為は、弟子の基本というよりは、「一人の人間としての基本の基本」であろう。
<9> 銀座書斎の空気感1
銀座書斎の空気感についてこれをわかりやすく述べれば、この空気感は、「生井利幸の空気感」そのものを指す。
<10> 銀座書斎の空気感2
銀座書斎の空気感が読めない弟子は、生井利幸について、必要十分に知らない弟子である。銀座書斎の空気感とは、言うまでもなく、「生井利幸事務所・銀座書斎をつくっている生井利幸の空気感」を意味する。
<11> 生井利幸とのコミュニケーション
生井利幸とのコミュニケーションがスムーズにできない弟子は、まず第一に、普通の社会人が持つコミュニケーション能力を養いなさい。そのための方法がわからない弟子は、基盤稽古にて、生井利幸に相談しなさい。
<12> 「完全孤立・完全独立の意味」を知る弟子が、より確実に、transubstantiationを体験具現する
より確実に、生井利幸から弟子へのtransubstantiationを体験具現するには、一事が万事に於いて、「師である生井利幸と弟子の間に『垂直関係』を維持する」ことが必要不可欠である。
銀座書斎入居ビル内での活動中、生井利幸から引き上げられる弟子の典型は、どのような状況に於いても、不必要な地域性・世俗性・固定観念から離れ、生井利幸との垂直関係を維持して活動することである。このためには、弟子に於いて「完全孤立・完全独立」が必要となる。
<13> 「銀座書斎内部に、無駄に、長く滞在する」という罪
心が貧しい弟子は、意味・理由もなく、無駄に、できるだけ長く銀座書斎内部に滞在しようとする。弟子には「銀座書斎の神聖性の維持」という一つの重要なるミッションがあるが、不真面目な弟子、心のステージが低い弟子は、この「神聖性」という言葉について”捉え違い”をし、自己中心的エゴを起点として、神聖性の概念について「偽りの捉え方」をする。
銀座書斎の空気感の中にこのような心の貧しい弟子が入ると、生井利幸は、すぐにその不健康・不健全な空気感を感じ取る。不健康・不健全な空気感は、頗る臭う(くさい)。
<14> 銀座書斎の空気感を読むだけでなく、師と共に、銀座書斎の空気感をつくる弟子になる
(1)「銀座書斎の空気感を読む」と(2)「銀座書斎の空気感をつくる」の両者を比べると、実に「巨大なる相違」がある。生井利幸の”直系”・”直属”の『弟子”度”』は、「弟子が、いかに銀座書斎の空気感をつくれるか」によって大きく変わる。
「空気感を読む」にとどまっている弟子は、かりに言葉で美辞麗句を並べても、実際は、「”お客様気分で”、自分の利益・幸福追求のためだけの目的で、銀座書斎に来ている」と捉えられる。
<15> 世界的教養人になる弟子、ならない弟子
生井利幸は、常に、「真理」「真実」「本質」を教授する。本稿に於いて「弟子の道」について述べるならば、その一つは、以下の如きである。
正式神聖賦与された正式神聖指導の中に道を見る弟子は、正式神聖指導通りに学習を行うことにより、将来、世界的教養人になれる。その反面、まず第一に、自分の道があって、その自分の道を実現するために正式神聖賦与された正式神聖指導を見る弟子は、決して、世界的教養人になることはできない。