すべての学問の基礎は、古代ギリシア哲学にあります。その古代ギリシアの学者・哲学者・賢者等は、自分の弟子たちに、"Know thyself."(汝(なんじ)自身を知れ。自己を知れ)と唱えていました。
古代ギリシアの大哲学者・ソクラテスは、『「神の知」と比較すれば、「人間の知」など取りに足りぬものだ』という観点から、広く、人間には「自己の無知」を認識・理解する哲学的反省が必要不可欠である、と唱えました。
わたくしは、子供時代に於いて、国内外の様々な古典を精読しました。古典を読むと、常に思い知らされることは、「自分自身の無知・非力」でした。そこで、わたくしは、子供ながらに、「利幸よ、あなたは自分自身を『雑草』と思いなさい!」と言い聞かせました。
幸い、わたくしは、子供時代から「自分自身は雑草である」と捉えていましたので、自分が成長するそのプロセスにおいて、所謂、「高望み(たかのぞみ)」、「勘違い」をしないで済みました。また、良い意味で、打たれ強くもなりました。わたくしは、「自分は、王子様ではなく、”雑草”である。雑草だから、プライドや自尊心を持つ必要はない。雑草だから、他人が自分をどう見ていても、特に、気にする必要はない。自分は、ただ、どこにでもある雑草として”雑多に”生きるのみである」という如く、自分を捉えていました。
「自分は雑草である」、・・・人間は、このように自分に言い聞かせることによって、どのようなことも謙虚に受け止め、前に進めるようになります。古代ギリシアのソクラテスの知は、現代社会に於いても、たくさんの人々に「前に進むための勇気・活力」を与え続けています。
無論、現代の、この日本社会に存する英語道弟子課程に於いても、師が弟子に、"Know thyself."(汝自身を知れ)と唱えるその言葉の中には、弟子に対する宇宙規模の愛がそこに存在しています。そこに存在しているものは、「弟子に対する宇宙規模の愛」以外、何もありません。